絵画的思考と文字的思考(その2)

聖心女子大学の水島尚喜先生が人間にとって「つくる」とは何かを探るコラムです。今回は「絵画的思考と文字的思考(その2)」として、古代の洞窟壁画のずっと後にあらわれた文字について考えます。楔形文字と漢字を例にとりながら、絵と文字の間には何が隠されているのか、その謎に迫ります。

前回のコラムでは、詩人のまどみちお(1909 - 2014)さんが、生前のインタビューの中で「詩作よりも絵画制作の方が好き」と仰っていたことを手がかりに、表象行為における文字と絵画の距離を俯瞰しました。詩作にも絵画制作にも文法が必要ですが、それぞれの自由度には違いがあることを指摘されていたように思います。今回は、「文字」の成立について文化史を辿りながら紐解いてみましょう。

 

「楔形文字」と「漢字」

人類は、書き文字よりも以前に、絵によって思考(世界制作)してきたと考えることができます。人類最古の文字の一つとして知られている「楔形文字」は、約5400年前の粘土板に記されたものまで遡ることができます。


楔形文字が刻まれた粘土版。楔形文字は世界四大文明の一つであるメソポタミア文明で使用されていた古代文字。

 

一方、現在、洞窟壁画で世界最古と言われている「ショーヴェ洞窟壁画」(連載第2回目参照)は約3万6000年前の遺構です。楔形文字が成立するずっと前、氷河期時代の洞窟に、眼前にないものをイメージし、その残像を絵画という媒体によって残しています。しかも、稚拙な描写ではなく、力動的な写実絵画でした。近年ではアジア等においても同時代、またはそれ以前に洞窟の内部に描かれた壁画の報告例もあります。絵と文字それぞれの起源とされる狭間の期間は、人類は文字によることなく、絵画によって表象活動を行い思考してきたといえます。

 

では、後発の文字はどのような経緯で生まれたのでしょうか。具体例をもとに考えてみましょう。「トークン(token)」という楔形文字の起源の可能性がある粘土製出土物があります。このメソポタミアで出土する小さなオブジェは、従来、遊具として考えられていましたが、近年になって、麻雀の「点棒」のような役割があったことが明らかになってきました。それは、特定の事象に対応した計算具ではないかとの見方です。(※1)


「トークン」の意味は、しるし、象徴、記念品。約5000年前から用いられ、最盛期は5500年前頃とされる。© Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons / CC-BY 2.5

 

例えば、印章を捺(お)した壺の中にトークンが封入された状態での出土例がありました。その壺の表面に押印されていたのは数と固有の形でした。おそらく、収穫物や貢物などの量や個数が、現実の状況と対応する符号として機能していたものと思われます。また、トークンと楔形文字の粘土板が混在している時代もありますが、トークン時代の後に、粘土板文書が出現しています。さらに、トークンに刻まれている模様と同様のものが粘土板文書にも刻印されている物証があるそうです。

 

すなわち、「楔形文字」の場合は、経済的な取引といった現実の事象から、対応関係にある記号的な物体(トークン)が生まれ、やがて、トークンによって抽出した内容が文法を生み出し、粘土板文書による記号の体系(文字文化)を形成されたと考えられるのでないでしょうか。

 

一方、中国や日本などで用いられている漢字はどうでしょう。漢字は、世界四大文明で使用されていた文字のなかで、唯一現代に生き残っている文字です。漢字は、一般的に象形文字として知られています。象形文字としての漢字の成立過程には、映像的図像から記号化されていく様子を読み取ることができます。 例えば「牛」という文字を取り上げましょう。人間の網膜上に認識される牛は、映像のような個々の牛の姿に他なりません。

 

 

そこから人間のパターンを認識する脳の特性によって、立派な角がある動物というように、概念化され、それが徐々に視覚的に記号化(文字化)されていきます。

 

角のある牛から、現在の「牛」という漢字が成立。世界の文字研究会編, 『世界の文字の図典』, 吉川弘文館, 1993をもとに作成。

 

このように漢字は視覚的表象から生まれ、さらに日本では簡略化したカナ文字が生まれました。つまり、絵を簡略化してカナ文字が生まれた、ということです。その過程において形成された「様々な人々が使えて伝わるように」という共感的心情は、日本の精神文化を形成する一助となったようにも思います。

 

漢字という記号は、さらに組み合わせることによって、世界の多様性に対応した複雑な意味を表すことができるようになっていきました。例えばカミキリムシは、日本では、「髪を切る虫」という語源説があります。では、中国語でカミキリムシは、何と呼ばれているかご存知でしょうか?

 

写真を見比べると、牛とカミキリムシが似ているのがよくわかる

 

正解は、「天牛」です。カミキリムシは、立派な触覚が2本あります。牛の角と類似しています。また、カブトムシなどの夜行性の甲虫類に比較して、日中も飛翔することが多く、目視しやすい虫です。おそらく、そのような特性から、「空(天)を翔ける牛」として「天牛」という組み合わせが選ばれたのかもしれません。

 

このように「楔形文字」、「漢字」、「カナ文字」は、いきなり記号的な文字として出現したのではなく、具体的な現実の事象から派生していることが理解できます。そこで、次回の「絵画的思考と文字的思考(その3)」では、実際にこどもがどのように「絵」と「文字」の間を行き交うのかを考えてみたいと思います。


※1:アニス・シュマント=ベッセラ著, 小口好昭・中田一郎訳, 『文字はこうして生まれた』, 岩波書店, 2008

PROFILE
水島尚喜先生 みずしまなおき

聖心女子大学教授。東京学芸大学大学院教育学研究科修士課程修了。文部科学省学習指導要領(「美術」及び「図画工作」)作成協力者。元全国大学造形美術教育教員養成協議会会長。現在、美術科教育学会代表理事。ローハンプトン大学(英)、ボローニャ大学(伊)等で客員教授を務める。共編著に『図画工作・美術教育研究 第三版』(2010年、教育出版)など、多数。ズッコファミリアでは、人間にとって「つくる」こととは何かを巡る思索を綴ります。コラムのアイキャッチ画像で、水島先生の背景に写っている壁画は、美術家・田窪恭治さんの『Le Pommier d’Or 黄金の林檎』です。聖心女子大学にあります。

文/水島尚喜

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